うみのもりについてABOUT US

なりたち

「これまで」と「これから」

 障害者の芸術といえば、山下清さん(1922~1971)の名前が思い浮かぶかもしれない。テレビドラマ「裸の大将放浪記」のモデルになった知的障害のある画家である。山下さんは千葉県の施設にいた実在の人物で、ときどき施設を抜け出して全国各地を放浪しては、色紙を細かく切って貼り付ける「ちぎり紙細工」といわれる絵画作品を作るようになった。瞬間的に見た風景が記憶として残るサヴァン症候群とも言われており、新潟県長岡市の花火大会を題材にした作品などが知られている。

 実は有名な芸術家にも精神障害や知的障害の人は意外にいる。「叫び」という作品で有名なムンク、「ひまわり」などで日本でも人気が高いゴッホなどもそうである。
しかし、そのような突出した才能を持っているのは一部の特別な人とみなされており、福祉施設や精神病院、養護学校(特別支援学校)などで障害のある人や子どもが絵を描いても陶芸を作っても、授産活動やアートセラピーと位置付けられるか、遊びやレクレーションとみなされてきた。中には芸術性の高い作品もあったには違いないのだが、いわゆる芸術活動として評価されるようなことはほとんどなかった。

 1990年代ころから障害者の権利擁護の意識が福祉現場でも高まり、入所施設や病院から地域への移行が取り組まれるようになると、彼らの作る絵や陶芸の芸術性にも注目されるようになる。そうした意識を持った職員のいる福祉現場でアート活動が積極的に取り組まれ、絵画展が開かれ、作品を商業デザインに取り込んだ商品が現れるようになった。

 障害者の地域生活を支える福祉サービスが拡充し、権利を守るための法律や制度が作られるようになったのは2000年代になってからだ。
日中の活動や就労、暮らし、移動、相談など障害のある人が地域で生活するための福祉サービスの国の予算はこの20年で4倍にもふくらんだ。障害者虐待防止法、障害者差別解消法によって障害のある人の権利保障も国を挙げて取り組まれている。
日本の知的障害者を主な担い手とする芸術作品はヨーロッパ各国でも話題となり、フランス、オランダ、イギリス、スウェーデンなどで展覧会が開かれ、現地の人々を驚かせた。かつてない観客動員を記録するなどしてヨーロッパやアジアの各国で旋風を巻き起こしている。

 日本では障害者の趣味やセラピーとしか見られていなかった活動が、海外では 芸術として評価されている。後にいくつかの海外展に同行し、私は自分の無見識 を突き付けられることになる。

 毎年2月に滋賀県大津市で大勢の人々が集まって3日間開催されているアメニティーフォーラムという福祉の集まりでもアール・ブリュット展が開催され、障害者芸術をテーマにしたシンポジウムなどが毎年盛り込まれている。私自身も、元文化庁長官の青柳正規さんとの対談、元フォーククルセダーズで「あの素晴らしい愛をもう一度」などを作詞した精神科医の北山おさむさんと青柳さんとの鼎談などに「聞き役」として登壇した。
2018年に千葉県の福祉を考える集いで出会ったのが、こまちだたまおさんだ。上総一ノ宮でアート活動をしている芸術家である。そのすぐあと、文化芸術で町おこしをしたフランス・ナント市のジャン・マルク・エロー元市長(元フランス首相)が来日した際、青柳元文化庁長官との対談で私は司会を務めたが、その会場にもこまちださんがいた。
浦安市で障害者支援の事業をしているNPO法人千楽で私は副理事長をしている。そうしたご縁もあって、こまちださんは千楽のアート活動支援を依頼し、毎月訪れてもらうようになった。

 人生は出会いとタイミングだと思う。限られた人生という時間の中で無数の人との出会いがあり、そのほとんどが何ごともなく別れては忘れていく。しかし、何かしらのはずみで心の中にある風鈴が揺れてかすかな音を立てることがある。

 障害者文化芸術活動推進法が国会で成立したのは2018年6月だ。それを受けて都道府県が障害者文化芸術を進めていくための計画や支援センターを設置していくことになった。 日本の障害者福祉は2006年に障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)が施行されてから、毎年予算が大幅に増えてきた。まだ不十分とはいえ、福祉サービスは以前とは比べられないほど充実してきたとは言える。権利擁護の面でも虐待防止法や差別解消法の施行などもあって少しずつ整備されてきた。

 ただ、福祉サービスがあって権利が守られていればいいということではない。
社会に何らかの形で関わり、働くことで役割を得たり、家族や恋人との生活で充足感を得たりする。障害のない人々が求める幸せは障害者にとっても大事だということが語られるようになってきた。趣味や芸術を楽しみ、創作活動の中に新しい自分を発見することも重要なものの一つだ。

 社会の価値観も大きく変わろうとしている。物質的な豊かさよりも、心の充足や安心を求める人が多くなってきた。そうした時代の転換期に、千葉県での障害者文化芸術を深め、盛り上げていく母体を作ろうということになった。それが、「うみのもり」である。あの日、心の中で鳴った風鈴の音に導かれるようにして、わたしたちはここにいる。(文・野澤和弘)